ヨーヨー小話  ヨーヨーで儲かった男

享保年間にヨーヨーを売り歩いたこの男は、なんとかして子供の人気を集める商売がないかと考えた末、思いついたのがこのヨーヨーという玩具。
この男、商売に関して非常に頭が廻る男のようで、

「ただ普通に売って歩いたのでは面白くない。自分でこの玩具を巧みに操り、子供達の人気を集めるに限る。」

と考え、男は練習を重ね、遂にはその玩具の技を習得したそうな。
それから男は荷物を担いで街にでて子供がいそうな場所を見つけては紙芝居のように大きな声で詩か何かを唄いながらそれにあわせて手際よく玩具を上げ下げし、自由自在に廻して見せたのである。
それはまるで魔法で操っているかのように子供達の目には映った。忽ち子供達の間で人気を博し、この男は大いに儲かったという。


― 小小話
その頃、この玩具は「お蝶殿の手車」と名づけられていた。それが略されて一般には「手車、銭車」という名前で親しまれていた。
当時、日本に渡来したオランダ人がこの玩具をみて面白いものだと思い、国の土産として買って帰っていった。
するとオランダでも大流行し、「お蝶殿の手車」という名から「蝶々、蝶々」といってもてはやされたが、その「蝶々(チョーチョ)」からいつのまにか「JO-JO(ジョージョ)」となり、その後その玩具は様々な国を経て「YO-YO(ヨーヨー)」と発音されるようになったと一説にはある。
驚くべきことに江戸時代にはすでにヨーヨーのデモンストレーションを行っていたようだ。
恐らく日本初のヨーヨーデモンストレーターだろう。このヨーヨー売りの男、恐るべし!
この男はヨーヨーの情報をどこで手に入れたかも気になる所だが・・・。まさか自分で開発したわけでもあるまい。
ここまでくるとヨーヨーも日本の昔の玩具として、剣玉や独楽と同じ扱いになるのだろうか?
しかし、いったいいくらで売っていたのかが気になるところだ。

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